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ベルリンの学校で

 顔の部分をぼかされた十代半ばの少年少女達。フェンス越しに見えるそんな映像をバックに、「暴力」という文字が浮かび上がる。フェンスの向こう側は、学校の敷地内。
 ベルリンでの校内暴力の様子を、様々なメデイアがセンセーショナルに報道していた先月末以来、このことが頭の片隅から離れない。教育現場での若者による暴力というだけでもショッキングだけれど、この事件にはさらに複雑な背景がある。思うことは色々あっても、ここ10日間ほど書きかけてはまとまらず、何度も途中で断念した。明日から一週間の旅行に出るその前に、モヤモヤしたままではあるが、やはり書き残すことにする。
 ことの起こりは、学校長自身によるSOSの手紙。もう学校が成り立たないという悲痛な文面に、州文部省が迅速な対応をとらなかったこと、その怠慢をメルケル首相が厳しく非難したことが、事件の話題性をいっそう高めることになった。
 舞台となったリュトリ校は、生徒の約8割が移民の子供たちだという。異なる文化的背景を持つ子供への教育をどうするか。ドイツのみならず、難民、移民を受け入れている国が必ず直面する問題だろう。言語習得の困難ばかりではない。それぞれの母国文化を尊重するということと、その地に適応していくということが、時に対立する二つの価値とみなされる。狭間に立たされる子供たちには、きめ細かい、柔軟な対応が必要だろう。豊かな経験と専門知識をもつ人材、ケースに応じたプログラムなど、様々な工夫と労力が求められることだろう。だからこそ、そういう子供たちが全生徒の8割を占めるのだといえば、学校運営が困難を極めたのも想像がつく。
 ドイツの特異な学校システムが、問題をさらに複雑にしている。ドイツでは、日本でいう小学校4年までの基礎学校を終えると、その後の進路がいくつかに分かれ、この時点での選択がその後の人生の多くを決定する。おおまかに言うと、大学進学のためのギムナジウム、職業専門学校に進学するための実科学校、そして基幹学校と、選択肢は3通り。基幹学校は、特殊な専門技術を学校で学ばなくてもよい職業につく子供が通う学校、という位置づけだと思う。リュトリ校は基幹学校である。
 4年生といえば9〜10才。そんな年齢で将来に関わる選択をせまられる。ほとんどの子が親の職業を継ぐという時代には、その制度も問題なく機能していたのだろう。職人の道をきわめた証であるマイスターが、高く評価される社会であったことも、特異な学校システムを支えていたのだと思う。
 時代が変わり、高学歴が良しとされ、多くの親が子供のギムナジウム進学を望むようになった。また、機械化、合理化が進む産業社会の求める労働力は、熟練の職人芸とは大きく異なるため、マイスターの称号を得ることの意味が、相対的に薄れてきている。大学進学以外の道に、希望をもたらすような目標が見えて来ない。けれども、ギムナジウム進学率の上昇につれて、生徒のドロップアウトの率も高くなっている。
 絶え間なく変化していく社会の中で、昔ながらの教育制度が、置いてきぼりになっている。基幹学校においては、義務教育期間を消化するということ以上の意義を、求めにくくなっているのではないか。学校で学んだ先に何があるのか。子供たちが目指すべき方向を、学校は、社会は、示すことができていないのではないか。実際、暴力問題が表面化する以前から、リュトリ校では生徒の勉強意欲が失われ、いくつかのクラスでは授業がほとんど成立していなかったという。
 暴力という極端な形をとって表面化したのは、移民の子供たちの教育にしても、学校制度の問題にしても、いずれも難題である。労働市場の問題、グローバリゼーションの問題、考え進めれば、奥行きはさらに深く、もう私には手に負えない。
 それでも考えてしまうのは、私にとってこの事件は、胸のどこかがヒリヒリするような、ある種のリアリティーをもつからだ。「もう廃校にしてほしい」という言葉を、他でもない、自分たちの校長に言われてしまった、リュトリ校の生徒たち。(そのような報道が多い中、校長は廃校を望んでいたのではない、との雑誌記事もあった。)その彼、彼女らの心の痛みを、思わずにいられない。ベルリンの学校の、荒れる十代の若者たち。今の私の日常生活との接点など、ほとんど何もない。けれど、今となっては懐かしいとも言える私の記憶の一部と、どこかがつながっている。
 もしかしたら、旅行後につづきを。
by jukali_k | 2006-04-14 22:25


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